双名島とライオン島今昔

さぁ~2月です。
年々出港が早くなってきた
久礼のかつお大型船。

  近日の初出港を控え
  化粧直しも新たに
  静かに港内で待機中。

出船-2

出船-1

この2月に出港していったら、
次に帰ってくるのは
11月の中頃。
故郷を離れ、長い長い
航海の繰り返しが続くので、
今はゆっくり羽を休めて
鋭気を養い安航を祈る時。

  羽を休めると言えば、
  その大型船のすぐ横で
  人の気配にも
  驚く様子も無く
  カモメが休んでいた。

鳥-1

鳥-2

そんな港を
ちょいと南へ回り
車でうろつくうちに、
久礼湾に浮かぶ
島々を見てみると、
我々が子供の頃に見た
風景とは
随分違うことに気が付いた。

ライオン島現在

   この「松碆・まつばえ」は、
   子供の頃は
   別名「ライオン島」とも呼ばれ
   ところどころ磯松も茂り
   雄々しく寝そべる
   ライオンそのものだった。

我々が生まれるまだ前だが、
大正時代に写した写真を見ると
なるほどライオン島と
呼ばれたはずである。

ライオン島

数十年前の
大波の台風時、
首側の先端部分が
崩れたと言う。

   そんなライオン島の
   昔の写真を見ていると
   「双名島」も
   大正時代に写した
   写真が出てきたので
   今昔としてお披露目。

双名島・大正時代モノクロ
双名島平成

昭和の時代となって、
灯台設置工事で
沖の島へも渡れる
散策できる双名島になったが、

   昔、
   爺さん達に聞いた話では
   陸側から碆をつたい泳いで
   一周して帰ってきたら、
   山ほどの「貝」が
   獲れたそ~な。

そんなこの双名島にゃ、
「まんが日本昔ばなし」に
「島をはこんだ黒鬼」として
悲しいものがたりが
放送された事がある。↓
http://dai.ly/xt42u3

双名島釣り人

土佐十景の碑は
大正15年に土陽新聞社
(その後、現在の高知新聞社と合併)が
県民投票により選定・建立したもので、
双名島は第8位で選ばれています。
   碑表の題字(上写真)は、
   当時、
   高知市役所勤務の海路爲吉、
   歌の当選者は野市町の
   川村あや作
『双名島 ふたりの親の手をとりて
    この名所にあそびてしがな』

双名島碑

双名島大荒れ

そんな歴史のある
この双名島に
春の陽気の日には
お弁当持ちで
遊んで見るのもえ~もんですぞ~。


   
  
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